「Live」という生き物の記録。 | こんな視点もいいじゃない。

「Live」という生き物の記録。

そこにあったのは、まさに記録だった。


あの日の心や感情や、感じた圧力、鳥肌を抱えた腕、
そして震えるように胸の前で組んだ手のひらと、
誰よりも高く掲げようと必死に飛んで伸ばした拳。

それらをすべて、正面から受け止めてビクともしなかった人と音楽。



だけど。

浮かんできたのはそれらではなく、

「うわ。15000人って、ステージからはこんなふうに
 見えてたんだ」
「そーいえばこんなアレンジだっけね」
「そうそう、ここは歌詞変えてた」
「Vo.、喉が辛そう…」
「この曲のBass、もっとアップで見たい!」
「一体カメラ何台入ってんだろう」


…etcetc。


今頃分かりました。


ライブは、映像に収めた時点で
ライブではなくなるんだということを。


当たり前なことを言ってると思う。

「Live」って言葉は、まさに
「生き物」「生もの」って意味だもんね。
それをメディアに収録した時点で、
それは「Live」ではなく、
CDやDVDとおんなじ、
「Record」=記録 になるんだね。

そう考えると、
Liveを収録したメディアって
なんとも矛盾したものだな。


そして、LiveがRecordになった時点で、
いくら内容が一緒でも、
双方向が一方向に
その姿を変えてしまうことも分かった。


そう、Liveって双方向なんだよ。


今までライブにもヤマほど足を運んで、
ライブビデオやDVDもたくさん観て来たのに、
なぜ今頃こんなことを感じるんだろう。

今夜、BShiで放送された
BUMP OF CHICKEN の幕張ライブの様子、
かなりのハイテンションで観ていたのに
どんどん冷静になってしまう自分を
認めないわけにはいかなかった。

多分、それは、
あんなにはっきりとガッチリと双方向だったものが、
ガラっと一方向に変わってしまったことが
一番大きい要因なんだろうな。


そこにあったのは、Liveじゃなかった。
Liveを記録した、まさにRecordだった。