映画版「阿修羅城の瞳」 | こんな視点もいいじゃない。

映画版「阿修羅城の瞳」

はじめに。

 タイトルだけ観て、これから見に行かれる方は、
 ネタバレばっかりなので、この記事は読まない方が身のためです。
 さらに、興味すらない方には意味不明、もしくは気分が悪くなるかもしれません。
 OKな方だけ、ご覧になって下さい。】


土曜の夜。ネットをしつつテレビを見ていたら、
「阿修羅城の瞳」 の映画版のCMが流れていたのを発見!
わーぉ!忘れてたけど、この映画、今日からじゃん!
そういえば、前に「まぐまぐ」でこの映画のタダ券の懸賞があって
ふらりと応募したらピタリと当たってしまったんです。
それをふと思い出し、慌ててネットで上映映画館を検索したところ、
うちからチャリで10分くらいの映画館でもやってることが判明!
次に、その映画館の「阿修羅城の瞳」のタイムテーブルをサーチした
ところ、最後の上映が24:30。ただ今の時間、24:00。
ヨユーで間に合う!ということで、タダ券を抱えてチャリンコで
家を飛び出しました。

「この作品は一体何なの?」とお思いの方にさくっとご説明しますと、
元々は私の大好きな劇団である「劇団☆新感線」 が再々演までした作品。
再演から主役の病葉出門(わくらばいずも と読む)役に市川染五郎氏を迎えて、
新橋演舞場で2000年と2003年に上演。
その作品を、「陰陽師」の滝田洋二郎監督が今回映画化にしたというもの。
ストーリーに関しては、公式サイトを見てもらった方が話が何倍も早いので
興味を持たれた方はどうぞ。という感じだけれど、実はこの作品、
私が新感線を見始めて、初めて感動して涙してしまった物語だったりする。

新感線の舞台には大きく分けて2種類の作品が存在する。
一つが「オポンチもの」と呼ばれる、とにかく笑わせることだけが目的に
創られた作品。あれでもかこれでもか、と有り得ないことやギャグのてんこ盛りで
観客はそのバカバカしさにただ笑うのみ。終わってから、ストーリーは一切
覚えていないという、ある意味恐ろしい舞台(って言い過ぎ)。
そしてもう一つが「いのうえ歌舞伎」と呼ばれる、シリアス路線のアクションもの。
シリアスとはいえ、もちろん新感線らしい笑いも随所に散りばめられていて、
退屈するヒマは一切なし。この「いのうえ歌舞伎」を観た染五郎氏が、
「これこそ現代の歌舞伎だ!」と言い、新感線にハマる、という経緯を持つ。

で、あたしが一番最初に観た新感線作品が、いわゆる「オポンチもの」だった。
そしてその次に観たのも「オポンチもの」。しかも、記念祭的に楽しいやつだったため、
あたしの中では「新感線ってサイコーにおもしれーじゃん!!」的な印象が濃かった。
絶対に笑える。しかもかなりおかしい・おいしい。そういう作品を作ってるところ、という印象。

しかしそれを見事に破り、というか、いい意味で裏切り、感動とスピード感という印象も

しっかりと植え付けられたのが、初めて観た「いのうえ歌舞伎」である「阿修羅城の瞳2000」
花道もろくに見えないような2階席の奥だったけど、ラストは涙で滲んだことや、
何気ないセリフ・シーンまで、未だに憶えている。

そういった意味では、ある種の思い入れが強いこの作品。
舞台と同じ染五郎氏主演で、相手となる「つばき」役に宮沢りえさんを迎え映画化される
という話を聞いてから、「絶対に舞台と比較しない!」と決め込んで、映画館へ足を運んだ。
舞台と映画はそもそも全くの別物である。同じ話だからといって比較なぞ出来るわけがない。
そう思っている。思っているんだけど、あーーー、全っ然ダメだぁーーーー・・・・


最初から最後まで、とことん比較して観てる自分がいました。


しかもダメ出しばっかり。オマエ、どこの演出家だ!と自分で思ってしまう程。
途中からは「いいところを探そう!」とおかしな見方になってしまったり。

この物語の核となるのは、染五郎扮する出雲と、宮沢りえ扮するつばきの恋。
ただのラブラブな恋じゃなく、出雲に恋をしたために鬼になってしまったという
つばきの悲恋。プラス、鬼対人の憎しみとか、人が心の奥底に持つ鬼な部分とか、
いろんな要素がてんこ盛りにされ過ぎてるんです。
あの舞台上ではそれが可能。無理矢理な部分はあるけれども、スピード感があることによって
観ていて息つくヒマもない程。それが映像になることによって、気持ちが何にも伝わらないわ、
中だるみしっぱなしだわ・・・。
つばきに至っては、鬼になってから、鬼というよりも菩薩様のようでした。
三蔵法師とか、そっち側?とにかく穏やかになっちゃって。
もともとつばきは鬼として産み落とされ、人の姿を借りて、鬼の王である阿修羅へ転生する

のをただひたすら待っていたのだから、本来の姿になれて良かったと思ってるんじゃなかろうか?

とまで裏読みしてしまう程。
これには、宮沢りえが綺麗過ぎたっていうのもあったのかもしれない。

そしてもう1人重要な役柄が、鬼に魂を売ってまで、出雲を倒したいと思っている邪空という役。
人一倍強く、冷酷な男。ただ1人、どうしても勝てないのが出雲。
故に出雲への憎しみが積もり積もって、阿修羅の力を手に入れてまで出雲を殺したいと思う男。
この役が、この映画ではなんと、渡部篤郎さん。
この配役を聞いてから、相方と「史上最弱の邪空」を想像してモノマネしたりしてましたが
(失礼過ぎる)、ほんとにその通りになってしまっていることに驚きを隠せませんでした。
阿修羅の力を手に入れたいと思っている背景も、ほぼ不明な感じ。
ただ初めて聞いた「阿修羅」という言葉に興味を持って、「ねぇ、なーに?
あしゅらってなーに?」と聞いてるだけ、みたいな感じに見えてしまう。
出雲の事を殺したい程憎い、と思ってることや、そのことに対する執着心みたいなものも
とってもあっさりしていて、ただいい所でいい場所にいる、出雲と鬼にまとわり着く男、
みたくなってて本当に残念。

舞台上ではこの邪空、自分の男性としてのシンボルを切っちゃうんですよ。
そこまでして阿修羅の力が欲しい、と。男を捨てて、人を捨ててまで、阿修羅の力を
手に入れたい。そして、俺よりちょっとだけ強いあいつを殺したい。そうすれば俺が

一番強い男だ!と。
そういう強い想いを、自らを断ち切ることで表現する。そしてそれを見て、阿修羅転生前の
鬼のリーダー役である美惨という鬼(映画では樋口可南子さん)が、邪空の信念を認め、
人でいながら自分たちの仲間として行動を共にさせる、というシーンがあるのだけれど、
映画じゃさすがに切っちゃうシーンなんて流せないからか、その部分がカット。
故に、邪空があっさり鬼の仲間になっちゃって、「あららら?」と拍子抜け。

もうもうもーーーぅ!
ほんとはもっともっと言いたいことがヤマのようになってて、昨日から相方と
口を開けばその話ばっかり。
いいところもあったんだよ!出雲の鬼帝時代の話をストーリーとして観れたのは
良かったし、四世南北にまとわりついてる小劇場コンビ(笑・大倉孝二と皆川猿時)の
クスッ笑わせる芝居や空気感とか、何よりも染五郎の出雲は流石。
舞台と寸分違わぬ出雲がスクリーン上にいたことに驚きと共に安心感が得られ、
「ああ、出雲は役じゃないんだ。1人の人なんだ。」と思わずにいられなかった。
舞台の演出は、劇団☆新感線の演出家・いのうえひでのり氏。
そして、映画の監督は、滝田洋二郎監督。
お分かりのように、違う人達が作った作品でありながら、出雲という男は、
そのどちらでも同じ人間だったんです。
「そうそう、これが出雲だよ!」と再確認し、思わず笑顔になるほど。


しかし、これはあたしがこの作品を事前に知り過ぎていたため、こんな感想に
なっているのかもしれない、とも思う。
新感線や、阿修羅城の話なんて知らない人が観たら、また別の感想になるのかな、と
思っていて、それは非常に興味がある。
というか、そういう方達は、まずあの荒唐無稽な話が理解できるんだろうか、とか、
そういうことを心配してしまう。それに、あの、過度なSFXに辟易しちゃいそう。
滝田監督のSFXは、「陰陽師」で多少免疫が付いていたといえ、この映画も最初っから
「オイ!」と突っ込みたくなることしばしばだったので、気持ちは非常に分かりますが。
もし、トラックバック用とかで検索してこの記事がヒットした方にそんな方がいらっしゃれば、
一言教えていただけると嬉しいし有り難いです。


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